攻玉社土木科 同窓会誌 第16号 明治25年1月
〇東京市区改正測量 正員 堀内米雄
東京市街は曾て内務省地理局に於て之を実測し五百分一及ひ五千分一の図を調製せり共五千分一のものは印行して現存すれども五百分一のものは先年火災の為め悉皆焼失し野帳も亦本所浅草及下谷の或部分を存するのみ。其後明治二十一年八月閣令を以て市区改正条例を発布せられ仝事業を実施する事と確定せしか右図面の焼失せるを以て取敢す市区改正線路の通過する場所のみを測量する事となり去明治二十二年五月より着手し一昨年十二月之を結了し昨年一月より改正線路の通過すへき坂路の高低測量に着手し五月下旬完結せり。今左に其測量法及製図法に就き序述せんとす
本測量の三角起点の総数は百四十五個にして内九十三個は明治十五年内務省地理局の測量に係り明治十八年更に近郊を補測して五十二点を測量せしものなり。此三角点中枢要なるものは三十六個にして之を大点と称す。即是に拠て最大最良の三角形を綱置し一辺の長凡そ一千間内外なり。其位置は左の如し
宮城内富士見櫓 駿河台 海運橋 采女橋 愛宕山 赤坂 富士見町 市ヶ谷 目白 丸山 一ツ目
巣鴨 田端 町屋 三ノ輪 寺島 吾妻橋 柳橋 三ツ目 小名木 千住 洲崎 霊巌島 越中島
千田新田 龍土 金杉 小山 広尾 宮益 白金 上目黒 下目黒 戸越 御殿山 第二番台場
此大三角測量の基線は一ツ目大点と三ツ目大点間にして長七百七十四間〇八八なり。以上大点の内人家稠密の場所には補助点なるものを設く。其数五十七箇にして三角大点の距離は一千間内外なりと雖も其間此補助点を配置せるを以て三角点の最近なる距離は二百二十間に至れる処あり。尚此外に予備点なるものあり。大点の近傍五六十間以上二百間内外の距離に設置したるものにして大点一箇毎に必二箇以上を附属せしむ。而して是等の予備点相互と及予備点と大点間の距離及方位を測定しあるを以て其用は他日大点に異変あるも尚其効用を失はさらしめ得ると。又一は本測量の起線となり併て甲大点より作業し来り乙大点に至りて方位を検正し得るとにあり。近郊補測三角測量は東方は洲崎、千田新田、及小名木の大点より起り砂村、西小松川、葛西川、木下川村に及ひ北方は寺島、千住、町屋、田端及目白村の大点より起り上尾久、上十条、落合、中野村に及ふ。此三角点の距離甚た差違ありて最小なるものは凡二百間にして最大なるものは一千三百三十間に及ふ。以上総百四十二点の三角網か覆ふ所の面積は凡八、六一平方里なりとす
平面測量法 本測量は市区改正線路に該当する街路并に其近傍の模様を知るの目的なりしを以て東京市街五千分一の図に各種の色分をなして市区改正線路の大体の位置を記入し之を根拠として測量すへき街路を定め前述の東京府下大三角点及其補助点を原点とし経緯測法に拠り真子午線と為せる偏倚角を測り各所の大三角点を連結して漸次測量を確定完成し以て街路河川及溝渠等の位置を測定したるものなり。本測量に使用せし測点は鉄杭及び木杭の二種にして角隅の本点は後日に保存を要する為め長一尺二三寸の一吋角鉄杭を用ひ中点には木杭を使用し而して図上には藍色の圏を以て鉄杭の位置を示し赤色の圏を木杭の符号とせり。又三角起点は藍色二重圏にて顕はせり。普通測鏈は寒熱に依て伸縮し殊に盛夏の候に於ては朝夕と午後とは一チェーン付き凡そ二十分の一リングの伸縮あり。又新旧其長を異にするを以て予め便宜の場所に於て準尺を設け以て鏈の伸縮を検査せり。坂路に基線を引くには之を水平に保持して距離を測りたることあり。或は其傾斜を計り数学上にて距離を求めたることなり。街路の角隅の枝距は頗る精密を要し而して殊に基線より距離遠くなるに従て目分量の直角線は不精密にして直角器を使用するは手数を要し而して左程精密なる結果を得されは一は精密の考証の為め一は後日測点を探索する時の便に供せん為め街路の角隅より測点に向て斜に距離を測り置けり
製図 製図紙は凡五尺二寸四方となし各辺五尺の正方形輪廓を入れ之を五寸目に分割す縮尺は六百分の一なるか故に一枚の製図紙は僅に五百間四方の地面を抱図するに過ぎず故に其全数は百七十九枚の多きに上れるを以て宮城内富士見櫓の大点より東西南北に線を引き東京市を四大部に分割して甲乙丙丁の名を命し更に製図紙毎に甲一ノ一乙二ノ一等の番号を附し又別に一万二千分の図に前同様の線及ひ番号を附し以て見出しに便ならしむ製図法は富士見櫓の大点を元とし之より各測点の経緯距を計算し之を前記輪廓に施し其交切点を以て測点の位置を定む尤も其一小部分には分度圏を用ひたる所あり凡製図紙は乾湿に因て直に伸縮を生する故に今日図上に施したる線も明日に至れは直ちに差を生し製図上甚た不都合なれども此製図法は常に五尺の輪廓に準拠して測点を画くを以て測点は五尺四方の輪廓中其伸縮に応し常に適当の位置に配置するを得るの便あり已に調製済となりたる箇所には技師と市区改正委員との立合にて土地の状況を取捨折衷し計画線を記入し後日改正実施の際には之を根拠として執行す又た別に稿図を製し是に各測者が測定したる区域の基線を劃画し其側に線の方位と距離とを併記し他日此測量に連絡する測地の起線と為すとき其距離と方位とを容易に明瞭ならしむ
三角点の聯結に就て (略)
高低測量は他日市区改正実施のとき直ちに土積を算出し得るの目的を以て市区改正線路に該当する坂路を実測したるものにして五間に路心の高を計り十間に其横断面を測り尚ほ勾配の急変する所は悉く其高を取り其縦断面図并に横断面図を調製し置きたり
攻玉社土木科 同窓会誌 第21号 明治25年6月
〇東京府に属する水準拠標と陸軍参謀本部陸地測量部の水準拠標の関係 正員 岩崎弥太郎
現今東京府下に於て測定せる水準拠標は元内務省に於て測定し今東京府に属する水準拠標と陸軍参謀本部陸地測量部の水準拠標是なり
東京府水準拠標の基点は京橋区霊岸島にある水位標零点以上の数にして其零点は干満平均を以て之を定む
陸軍参謀本部陸地測量部の水準標も同しく京橋区霊岸島の量水標に於て数年間の海潮干満の中数水位を以て零点となせり
右の如く東京府水準拠標の零点と参謀本部陸地測量部の零点に付き一は干潮平均を零点となし一は海潮干満の中数位を以て零点となせり。而して干潮平均と干満平均の差は未た確知する事能はされども今度水道用新水路開設に付き之か為め水準測量をなし参謀本部の水準拠標に照査して得たる所の二点間高低差を比較して二水準拠の基点即ち零点の差を発見せり。即ち四ツ谷大木戸東京府水準拠標(百十四尺〇八分五厘)を起点とし内藤新宿町にある参謀本部測量部の拠標及同郡代々幡村小笠原邸前にある同拠標仝郡仝村三郡橋の近傍にある同拠標に照査して得たる決果左の如し
参謀本部水準拠標の所在
南豊島郡内藤新宿町警察署前 十六号
仝 郡代々幡村小笠原邸前 十五号
仝 郡仝 村三郡橋近傍 十四号
参謀本部測定高 |
尺に改算したるもの |
照査して得たる高 |
|
十六号 | 36.03231 メートル | 118.9066 | 122.6142 |
十五号 | 38.18236 | 126.0018 | 129.7094 |
十四号 | 40.35930 | 133.1857 | 136.8933 |
右に依参謀本部水準拠標と東京府水準拠標との零点差は三尺七寸〇七厘六毛なるを知る。因に云ふ京橋区霊巌島水位標零点と干満潮平均の差は三尺八寸七分なりとす
東京市下水設計調査の例
その1 青山練兵場下水位置並に勾配等の件
(防衛省防衛研究所所蔵、陸軍省大日記/壱大日記/明治37年6月) (原本 → アジア歴史資料センター)
東京市下水設計調査ニ関シ青山練兵場下水位置並ニ勾配等承知致度就テハ右ニ関スル図面借覧相叶間敷哉若シ図面御備付無之候ハヽ実地ニ就キ調査セシメ度候条御承認相成候様致度此段及御依頼候也
明治三十七年五月三十日 東京市区改正委員長 山縣伊三郎(印)
陸軍次官 石本新六 殿
その2 所管地内測量の件
(防衛省防衛研究所所蔵、陸軍省大日記/壱大日記/明治38年1月) (原本 → アジア歴史資料センター)
東京市下水設計調査ノ為目下市内高低測量実施中ニ有之候就テハ差向麹町区元衛町騎兵大隊構内実測ノ必要有之候条掛員ヲシテ出張セシメ候間御承認相成度此段及通牒候也
明治三十八年一月十二日 東京市区改正委員会(印)
陸軍省御中
追テ東京市内ニ於ケル貴省御所管構内追々測量ノ必要可有之存候条御承認相成度此段申添候也
東京市下水道沿革誌
(東京市下水改良事務所 編、大正2年(1913)発行 ※翌年に増補版を発行)
第3章 明治維新後ノ事蹟
第10節 東京市下水設計ノ調査ヲ中島工学博士ニ嘱託ス
附 上水工事先行ノ事情及当時主ニ雨水排除法トシテ施行セラレシ工事ノ態様 (原本 → 国会図書館)
之ヨリ先東京市区改正委員会上水下水設計調査委員ノ報告(明治二十一年十二月上水二十二年七月下水ニ付)ハ茲ニ工事実行ノ機運ニ一歩ヲ進メシメ唯経費上ノ関係ニヨリ先ツ上水ヨリナスコトヽシ下水改良工事ハ暫ク計画ヲ延期シ単ニ年々若干ノ費額ヲ投シテ歩車道境界下水ヲ新設スル等適宜雨水排除ノ方法ニ出ツルニ止マルコトヽ為セリ即先ツ上水改良ハ二十三年ヲ以テ其序幕ニ入リ其工事ハ二十三年十一月ヨリ実施セラレ三十一年十一月ニ至リ略ホ竣リ三十二年ノ初頭ニハ早ク既ニ其事業ヲ完成スルヲ得タリ次テ来ルモノハ下水改良事業タラサルヲ得ス此ニ於テ三十二年度ヨリ市内測量調査ニ従事スル事ニ決シ左ノ功程ヲ以テ実行セラレタリ
一 測量製図 (自明治三十二年五月、至仝三十三年十一月)
一 市街高低測量各水準擬標照査測量 (自明治三十二年十月、至仝三十四年一月)
一 各区在来大下水及地先下水測量 (自明治三十四年六月、至仝年十一月)
一 各区市街ヲ便宜ニ従テ之ヲ数多ノ小区劃ニ分チ各其面積ノ計算 (自明治三十四年十一月、至仝三十五年七月)
一 各区役所ニ就キ人口ノ調査 (自明治三十五年八月、至仝三十七年三月)
之ニヨリ各区人口ヲ各町番地ニ依テ其人口数ヲ区別シ以テ各小区劃ニ属スルモノヲ総計シテ之ヲ図面ニ記入シ別ニ各区ノ面積及人口等ヲ作成シ且ツ下水設計参考トシテ各種下水管断面材料及工費記入ノ図面等ヲモ調製セリ這般ノ目的ヲ以テ成レルモノヲ挙クルコト左ノ如シ
一、全市標高及水準線記入図 (二千四百分一) 三組
一、全市蝋布謄写図 (同 上) 一組
一、同 (五 千 分一) 一組
一、全市水準線記入蝋布謄写図 (同 上) 一組
一、全市在来大下水及地先下水幅員深及方向記入図 (二千四百分一) 一組
一、全市面積及人口記入図 (同 上) 一組
一、全市距離記入図 一組
斯クシテ測量及材料ノ蒐集成ルヤ東京市区改正委員会ハ其決議ヲ以テ工学博士中島鋭治ヲ臨時委員ニ推薦シ東京市下水設計ノ調査ヲ嘱託シタリ時ニ明治三十七年二月十日也
第13節 中島工学博士ノ下水設計調査報告
四十年三月二十九日工学博士中島鋭治下水設計調査報告書ヲ市区改正委員会ニ提出ス左ノ如シ
(中 略)
東京市下水設計調査報告書 (原本 → 国立公文書館)
曩ニ東京市下水設計調査ヲ嘱託セラルヽヤ東京市ノ調査ニ係ル資料ヲ参照シ当初三十七八両年度間ニ完成スルノ予定ヲ以テ明治三十七年四月其業ニ着手シ本員専ラ之ヲ監シ工学士西尾虎太郎ヲ主任トシ諸般ノ画策ニ従事セシガ翌年五月ニ及ヒ西尾技師病ヲ以テ解嘱ノ已ムヲ得サルニ至リ工学士茂庭忠次郎ヲ之ニ代ヘ爾来鋭意其職ニ務メタリト雖モ調査事項甚ダ煩雑ニシテ意ノ如クナル能ハス遂ニ予定年度内ニ完成ノ運ニ至ラス更ニ調査ヲ続行シテ今般漸ク其結了ヲ告クルニ至レリ
尚本調査ニ於テ工学士西尾虎太郎仝小林柏次郎仝茂庭忠次郎仝芳賀惣次郎仝新井栄吉仝景山質岩崎弥太郎五十嵐孝治山下勝慶立石龍雄等ノ労甚ダ多トスヘキモノアリ
茲ニ其状ヲ具陳シ別紙目録ノ通リ作製セル諸種ノ図書類ヲ添附シ此段及御報告候也
明治四十年三月 東京市区改正臨時委員 工学博士 中島鋭治
東京市区改正委員長 吉原三郎 殿
東京市下水設計図書目録
種 目 | 員 数 | 縮 尺 | 摘 要 |
東京市下水設計調査報告書 |
一 部 | ||
東京市下水設計図 |
百廿八枚 | 六 百 分 一 | 内、甲四十二枚、乙廿二枚、丙三十二枚、丁卅二枚 |
東京市下水設計図 |
一 組 | 二千四百分一 | 二十七枚 |
(以下略) |
参考図書類 (※抜粋)
種 目 | 員 数 | 縮 尺 | 摘 要 |
全市標高及水準線記入図 |
六十枚 | 二千四百分一 | 正副廿五枚ツヽ、外ニ補足十枚 |
全市標高距離記入図 |
三十枚 | 仝 | |
全市水準線記入図 |
十三枚 | 仝 | |
全市標高及水準線記入図 |
一 枚 | 五 千 分 一 | |
全市蝋布謄写図 |
四十二枚 | 二千四百分一 | |
仝水準線記入蝋布謄写図 |
十一枚 | 五 千 分 一 | |
仝 |
十四枚 | 仝 | |
全市街蝋布謄写図 |
十六枚 | 仝 |
第1章 設計資料ノ蒐輯
東京市実測平面図
本計画ニ使用セル実測平面図ハ縮尺六百分ノ一ニシテ東京市区改正委員会ノ原図ヲ鄭重ニ謄写シ尚ホ在来ノ下水等ニシテ其位置ノ不分明ナルモノ或ハ市外地ニシテ特ニ必要アリシ個所ハ凡テ実測ノ上補足シタルヲ以テ街路其他ノ位置距離広狭等ノ正確ナルハ論ヲ待タス而シテ尚ホ本計画ノ下水管ハ勉メテ已設ノ地下埋設物或ハ市街鉄道等ト相抵触スルヲ避ケンガ為之等ノ位置等ヲ出来得ル限リ調査シテ本図ニ記入シ然ル後充分斟酌シテ下水管ノ配布ヲ計リタルヲ以テ其距離位置等ノ正確ナルハ敢テ疑ヲ容レス故ニ他日之ヲ実施スル場合ト雖モ甚タシキ支障ヲ感スル事ナクシテ直チニ之カ起工ニ着手スルヲ得可シ
高低測量及其基点
市街高低測量ハ明治三十二年五月ヨリ三十三年十一月ニ至ル約一ケ年半ニ完成セルモノニシテ総テ霊巌島ニ於ケル東京湾最大干満面基標ヲ基点トシ頗ル精細ニ之ヲ施行シタルモノトス即チ道路ノ勾配甚ダシカラザル部分ハ其中心線及境界線ニ沿フテ二十間毎ニ其高低ヲ測量シ特ニ道路ノ勾配甚ダシキ異動アル個所或ハ街路ノ交叉点等ハ該距離以内ト雖モ要所ニ於テ必ス其高サヲ測定シタルモノトス而シテ道路以外ト雖モ平坦ナラサル個所或ハ郡部ニ属スルモノニシテ其流域ノ市内ト関係アルモノ等ハ凡テ其高低ヲ調査シ尚ホ設計中特ニ必要ヲ感シタルモノハ調査シテ補足セシ所少ナカラス
本測量ニ用ヒシ各水準拠標ハ凡テ他日ニ便センカ為橋脚ノ台石或ハ石垣等比較的移動ノ少ナカル可キモノヲ撰ビ之ヲ記載シ置ケリ
本測量ノ結果ハ二千四百分ノ一縮尺ノ図ニ調製シ正副二組ヲ作レリ
東京市 明治45年事務引継書
(東京都公文書館所蔵、東京市『明治45年事務引継書』其2)
第三部長附及技師長附事務引継書
(前略)部長附主管事務ニシテ本年度ニ於テ施行中ノ主ナルモノヲ挙クレハ明治四十四年四月道路溝渠及地下埋設物整理事業ヲ起シ四十六年度ニ至ル三ケ年継続ニテ目下着々其ノ進捗ヲ急キツヽアリ其ノ途程模様ヲ記セハ別紙道路溝渠及埋設物整理引継調書ノ如シ(後略)
(2)埋設物整理
本整理ハ市内地下ニ於ケル瓦斯管、水道管、電信、電話、其他埋設物ノ位置ヲ明カニスルニアリテ其ノ調査順序トシテハ道路図調製、埋設物調査資料蒐集、高低測量、石標建設、堀鑿調査、横断面図作製、台帳作製、等ノ方法ニ拠ラサル可ラス而シテ以上ノ順序ニ依ツテ進捗セシ程度ヲ年度別ニ挙クレハ左ノ如シ
四十四年度
一、縮尺六百分ノ一道路図百十八葉(全部)ヲ調製シ之ヲ現場用トナシ道路、下水、等ノ新設変更アル毎ニ其ノ都度之ヲ訂正シツヽアリ
四十五年度
一、目下京橋、日本橋、両区ヲ除キタル神田区外八区内ノ高低実測中ニシテ他区ハ来年度ニ譲ル
東京市下水道事業年報 第1回 大正3年
(東京市臨時下水改良課 編、大正4年発行)
附図:第二区第十四分区之弐枝線管渠竣工図 (原本 → 国会図書館)
この図中に水準基標が2か所記されている。
【拡大図】
駒形町の寺院に几号の印と「B.M.No.30」「+19.35」とあり。
『水準基標一覧表』の「浅草区駒形堂境内石碑ノ前 19尺350」が該当する。
吾妻橋の西詰に「B.M.No.(番号なし)」「+15.93」とあり。
『水準基標一覧表』の「浅草区吾妻橋西側南袖高欄地覆石 15尺935」が該当する。
この場合は地覆石に目印を刻んだか鋲を打った程度で、標石ではないと思われる。
東京市下水道事業年報 第7回 大正9・10年
(東京市臨時下水改良課 編、大正12年発行)
第7章 臨時調査事業
項目の中に「一、水準拠標ノ位置及標高ノ調査」とあり。
附図:新堀南線(自浅草区田島町、至栄久町)雨水吐関渠竣工図 (原本 → 国会図書館)
附図の凡例には「水準拠標」の文字が見えるが、画像が不鮮明で図中における実際の使用例は確認できず。
東京市下水道事業年報 第8回 大正11・12年
(東京市下水道課 編、大正14年発行)
附図:第二区第十四分区其一枝線管渠埋設工事竣功図
この図中に水準基標が3か所記されている。
1.丸囲みの几号と「駒形堂境内石碑前」とあり。※数値はなし
『水準基標一覧表』の「浅草区駒形堂境内石碑ノ前 19尺350」が該当する。
2.丸囲みの几号と「浅草区諏訪町四番地先 No.20 22.140」とあり。
『水準基標一覧表』の「浅草区諏訪町四番地先 22尺140」が該当する。
3.丸囲みの几号と「栄久町39 竜宝寺前 No.15 10.055」
『水準基標一覧表』の「浅草区栄久町三十九番地龍宝寺門前 10尺065」が該当する。
附図:第二区第六分区其一枝線管渠埋設工事竣功図
この図中に水準基標が3か所記されている。 ※凡例にも「水準拠標」あり。
1.丸囲みの几号と「老松町 寿松院 IX (11.75)」とあり。 ※ IX = 9
『水準基標一覧表』の「浅草区老松町七番地寿松院門前 11尺750」が該当する。
2.丸囲みの几号と「元鳥越町 (26) (14.170)」とあり。
『水準基標一覧表』の「浅草区元鳥越町鳥越神社内銀杏ノ下 14尺170」が該当する。
3.丸囲みの几号と「小島町 XI (11.230)」とあり。 ※XI = 11
『水準基標一覧表』の「浅草区小島町十二番地門内 11尺230」が該当する。
附図:第二区第二分区一部追加工事功図
この図中に水準基標が1か所記されている。
丸囲みの几号と「No.118 16.735」とあり。
標高の数値は『水準基標一覧表』の「神田区五軒町八番地先柳下 16尺735」と合致するが、几号が示す場所は「神田区旅籠町一丁目十六番地先柳下 15尺325」である。
外神田警察署は大正15年に区画整理で佐久間河岸へ移転するまでは仲町2丁目7番地にあったことから、警察署の北側道路向かいは旅籠町で間違いはない。 図面の数値、もしくは一覧表の表記、そのいずれかに誤りがある。
東京市政概要
(東京市役所 編、大正3年発行)
第12章 道路事業
3.道路溝梁及埋設物整理 (原本 → 国会図書館)
本事業は市内に於ける瓦斯鉄管、水道鉄管、各種電纜、下水暗渠、空気電送管等地下埋設物の位置、形状、大小、延長及消火栓、下水桝人孔、開閉器、阻水弇、量水器等の地上露出物を調査整理し併せて官有道路敷、下水敷、堤塘敷等の埋設箇所及官民有境界不明の箇所を調査して境界を明確にし竝に下水面上無断使用者を調査して道路溝渠の整理を為す目的を以て予算総額五万六千五百八円を計上し明治四十四年度より著手したる三箇年継続事業也今其の方法を略述すへし
埋設物整理 (イ)石標建設は地下埋設物の位置を測定するの標準となすものにして埋設物整理の基本也既に市内要所四百二十六箇所に之を設置せりと雖も尚は若干の増設を必要とす (ロ)高低測量は霊岸島自記検潮場の零位を標準として前記石標の高低を測定するものにして既設のものに対しては悉く本測量を了せり (ハ) ※以下略
工学(土木建築工学) 第41号
(工学社 編、大正6年9月発行、第4巻第9号)
東京市の地下埋設物と地上露出物 笠置 正
地下埋設物の調査
埋設物調査の目的と種類 本事業は明治四十四年度より大正二年に至る三ヶ年継続事業として事業費金五万六千余円を費やし調査せるものであつて其目的とする処は紛糾錯綜せる地下工作物の状態を明にし新設移動並修繕等の場合其他地中工事を施行するに便すると共に合せて整理の方針を劃立せんとするにある。 (以下略)
調査方法 既設埋設物の実地調査を為すには先づ準備として地下埋設物を有する各官公署会社等に就き各種の材料を蒐集した、之れ蓋し能ふ限り書面上の調査を為し可成路面の堀鑿調査を少からしめんが為めである。次に埋設物の深度を測定するの基礎として水準基標を全市に亘り既設百五十基の外新に五百基を建設した(関係官公署会社の将来新設移動の場合は総て此水準基標に依らしめ高低基準を一定す)。以上の準備出来したる後に於て愈々路面の堀鑿に着手した。堀鑿調査は道路を横断堀鑿して各種の埋設物を露出せしめ其位置深度を測定し平面図横断面図作製の基礎となす者で本調査中主眼の作業である。夫故に堀鑿個所を増せば増す程埋設物の位置を正確ならしむる訳であるが予算との関係もあるので十字路及丁字路は其交叉の状態を知らんが為め特に接近して三ヶ所或は四ヶ所を堀鑿せるも直線路と思はるゝ処に於ては七八十間毎に堀鑿を行ふた。全横断堀鑿個所数実に七千七百八十個所之を道路延長に比すれば堀鑿間隔平均七十間余となつて居る。以上外業に依て得たる平面上の位置は之を平面図に記入するのであるが平面図は最も正確なるものを必要とする。若し不正確なものであるとすれば外業調査は如何に精密なりとするも何等の用を為さぬことになる。東京市に於ては平面測量より行ふは一大事業で到底実行の伴わぬことであるから已むを得ず本市道路図縮尺六百分の一なるを三百分の一に引き伸し取扱ひに便せんが為め之を四百四枚に分割した。尤も此道路図は二十余年前の作製に係るもので現状と符合せざる点多々あるも経費と期間とが許さないから之れが訂正は他日を期することゝした。次に埋設物の深度を示す為めに堀鑿個所の道路横断図を調製して上下の位置を明かならしめた。尚此外埋設物台帳なるものがある。之れは平面図に記入することの出来ない事項を明記して平面図及横断面図と相俟て埋設物の位置其他を明瞭ならしむるもので、其記載事項は所在道路幅員延長埋設物の種類所属口径其露出物位置種類等であつて各町毎に一葉一区毎に一冊に製本してある。
道路台帳調製心得
(東京市 編、東京市道路誌、昭和14年発行)
道路台帳調製心得 (大正11年7月6日 市長判決)
第一章 総 則
第一条 道路台帳ノ調製ハ東京市道路台帳調製細則ニ依ルノ外本心得ニ依ルヘシ
第二条 道路台帳ハ左ノ各号ニ依ルヘシ
一 調書ノ作製
二 平面図ノ調製
三 断面図ノ調製
四 図書類ノ整理
第三条 図根測量ハ経緯測量法ニ依リ地物測量ハ測板測量法又ハ枝距測量法ニ依リ高低測量ハ水準測量法ニ依ルヘシ
第四条 尺度ハ「メートル」ヲ用フヘシ
第二章 調書ノ作製 (以下略)
大正12年の関東大震災は、ご存知のように東京の市街地に壊滅的な被害をもたらした。これによって、これまで東京市が官公署の敷地内や、橋梁、路盤などに設置してきた水準基標にも甚大な影響が出たことは想像に難くない。
転換点を明らかにする文献が見つかっていないのは残念であるが、恐らく、この大震災を契機にして東京市の水準基標は水平型几号標石を廃し、現在につながる新たな基標の設置に移行したと推定される。
よって、これ以降の史料は水平型几号標石との関連は極めて薄くなるが、水準基標の役割や認識を知るうえで必要なものと考え掲載を続ける。読者はその点をご承知のうえで参考にしていただきたい。
東京市内水準基標高表 大正15年10月下水課測定
(東京都公文書館所蔵。請求番号:金子文庫-2177-6。画像「掲載届」受理済)
(表紙) 大正十五年十月於下水課測定 東京市内水準基標高表 東京市復興事業局工事課 江東詰所
(序文)
本表ハ大正十五年十月東京市下水課第二工営所ニ於テ測定セルモノヲ謄写ス
一、本表ハ大正十五年十月測定シタルモノニシテ大正十三年十月当工営所ニ於テ編纂シタル水準基標(参謀本部復興局道路局所有ノモノ)ヲ検測セルニ道路橋梁河港各工事等ノ為メ多少ノ沈下ヲ発見セルヲ以テ訂正シ編纂シタルモノナリ。
二、第二工営所管内ハ地盤軟弱ニシテ今後モ尚多少ノ沈下ハ免レサルヲ以テ本表使用ノ際ハ尚正確ヲ期スル為メ三個所以上ノ基標高ノ検測対照ヲ要ス。
三、参謀本部復興局道路局等ノ水準標高ハ満潮干潮ノ平均即チ中等潮位ヲ以テ零点トシ下水課現行標準高ハ中等潮位以下「三、七六六二」下リタル点ヲ以テ零点トシ標高ヲ表ハシタルモノナリ。
京橋区霊岸島新船松町参謀本部現在水準基標高ハ「一二、一六四」ナリ。
技師 加納 豊彦
技手 宮野源太郎
番号 | 所有者 | 所 在 地 | 標 高 |
---|---|---|---|
参謀本部 |
京橋区霊岸島新船松町参謀本部基標 | 12.164 |
|
1 |
旧永代橋々台西側南詰 | 7.989 |
|
2 |
深川区福住町廿九番地先第一銀行深川支店入口 | 11.462 |
|
3 |
深川八幡様正面鳥居基礎石 | 8.532 |
|
4 |
潮見橋欄干親柱西側北詰 | 20.521 |
|
5 |
道路局 |
深川区木場町二番地先船木橋々台東側北詰 | 11.517 |
6 |
仝 上 |
二之橋々台北側東詰 | 15.793 |
7 |
深川区扇町三番地武市合名会社入口石段 | 11.144 |
|
8 |
本所区柳原町一丁目一番地先伏越入口室(東側) | 9.493 |
|
9 |
参謀本部 |
本所区横網町一丁目二番地先 | 9.860 |
10 |
本所区太平町一丁目法恩寺橋々台西側南詰 | 17.081 |
|
11 |
道路局 |
中之郷元町三十九番地石標 | 10.760 |
12 |
仝 上 |
枕橋北側東詰通リ石標 | 14.178 |
13 |
源森橋々台南側西詰 | 12.846 |
|
14 |
道路局 |
東武橋々台北側西詰 | 13.945 |
15 |
深川区扇町八番地先扇森橋々台西側南詰 | 17.612 |
|
16 |
長崎橋伏越出口室(西側笠石) | 10.108 |
|
17 |
道路局 |
大富橋北側東詰袖笠石 | 12.342 |
18 |
深川区西町四番地(福井商店角)汚水桝笠石 | 7.378 |
|
19 |
伊予橋伏越出口室南角 | 9.175 |
|
20 |
深川八幡様社務所裏庭 参謀本部三角点(石蓋内) | 9.723 |
|
21 |
木場工区裏水準基標高 | 10.244 |
|
22 |
砂町汚水処分場事務所横 | 8.650 |
帝都復興区劃整理誌 第1編 帝都復興事業概観
(東京市役所 編、昭和7年発行)
附帯施設 2.低湿地地盛用土砂配分
第1節 概説
第1項 震災前の状況 (原本 → 国会図書館)
(前略) 而して建築物敷地として一般に排水を便にし土地の乾燥を計り且屡蒙る水害を除去する為には其の高水位以上約一尺五寸の余裕は経済上の問題をも顧慮し最小限度とすべく、従つて東京市内地盤の最低は、霊岸島基線(別紙第七図表参照)より十尺以上となすを要すべく、而して其の他の特別高潮に備ふる為には自ら他の方法によらざるべからず。
(中略)
第2節 取扱概要
第1項 準備調査 (原本 → 国会図書館)
1 測量 土盛に要する土坪算定の基礎に資する為、各地区中家屋移転工期の最も早き箇所より、逐次高低測量に著手したるも、中途に至り移転工期の前後に依り移転実施の遅速を判断すること能はざる状況となりたるを以て、其の地区の区劃整理委員に就き、実際移転著手の時期を質し、且建物移転現場又は土砂揚場等の状況を視察し、其の実施の早きものより順次測量に著手すると共に他面測量組を三班に分ち、竪川以北を第一班、竪川以南仙台堀以北を第二班、仙台堀以南を第三班とし、何れも大正十五年十月一斉に作業に従事し、第一班は昭和二年九月迄に、第二班は同年五月迄に、第三班は同年四月迄に夫々測量を終り、而して同年五月より同四年四月迄に家屋取払後の跡地に著しき高低を発見したる場合其の都度補測を為し、又同二年五月より同年十月迄に、非焼失地の高低測量を完了したり、測量完了地区毎に高低図を作製せり、之に従事せる延人員左の如し。
高低測量従事延人員表 (略)
本測量に際し使用したる標高基準は市又は参謀本部の水準基標所在附近は之に拠り、其の他は前記水準基標より測定して設置せる各所の標高基準標識に拠り測定し其の附近の標高を定めたり、而して参謀本部水準標高は東京湾に於ける干満潮の平均即ち中等潮位を零点とせるも本市に於ける水準基標は中等潮位以下三尺七六六二(十五年十月本市下水課調査)下りたる点を以て零点とす、依て本市の標高を基準とし参謀本部水準高標高は之を本市の標高に換算し測定を為したり、其の各所に存せる標高基準標識の位置、標高等を示せば左の如し。
地 区 | 水 準 基 標 位 置 | 標 高 (尺) |
---|---|---|
四 四 |
本所区中ノ郷瓦町源森橋々台南側西詰 | 12.846 |
四 四 | 本所区中ノ郷元町三十九番地石標 | 10.760 |
四 六 | 本所区横網町一丁目二番地先 | 9.860 |
四 七 | 本所区長崎町長崎橋伏越出口室西側笠石 | 10.108 |
四 八 | 本所区太平町一丁目法恩寺橋々台西側南詰 | 17.081 |
四 九 | 本所区相生町五丁目二之橋々台北側東詰 | 15.793 |
五 一 | 本所区柳原一丁目一番地先伏越入口室東側 | 9.493 |
五 二 | 深川区東森下町伊予橋伏越出口室南角 | 9.175 |
五 三 | 深川区富川町大富橋北側東詰袖笠石 | 12.342 |
五 三 | 深川区西町四番地(福井商店角)汚水桝笠石 | 7.378 |
五 八 | 深川区福住町二十九番地先第一銀行深川支店入口 | 11.462 |
五 九 | 深川区八幡神社正面鳥居基礎石 | 8.532 |
五 九 | 深川区八幡神社々務所裏庭参謀本部三角点石蓋内 | 9.723 |
五 九 | 深川区数矢町汐見橋欄干親柱西側北詰 | 20.521 |
六 〇 | 深川区木場町二番地先船木橋々台東側北詰 | 11.517 |
六 〇 | 深川区扇町三番地武市合名会社入口石段 | 11.144 |
六 〇 | 深川区扇町八番地扇森橋々台西側南詰 | 17.612 |
六 〇 | 深川区豊住町下水課木場工区裏水準基石標 | 10.244 |
六 六 | 本所区小梅瓦町東武橋々台北側西詰 | 13.945 |
六 六 | 本所区新小梅町枕橋北側東詰通石標 | 14.178 |
帝都復興区劃整理誌 第2編 総説
(東京市役所 編、昭和7年発行)
第4章 測量 (原本 → 国会図書館)
第1節 概説
土地区劃整理に於ける土地測量は、主として現形測量竝確定測量の二と為すも、特に必要ある部分は高低測量を実施し、且面積誤謬訂正申請の途を開かれたる為之が測量を施行せり、(略)
第2節 現形測量
現形測量は整理前の土地竝建物工作物等の現況を実測し、土地区劃整理の設計に供するものにして、基本測量及細部測量に分ち、尚必要あるものに付ては高低測量、誤謬訂正測量を施行せり。
第1項 基本測量
基本測量は区劃整理施行区域全般に亘り、関聯して設定したる多角測点に基きて街路、運河等の位置を実測するものにして、復興院に於て陸地測量部の援助を求めて施行したり、而して其の測量実施に当りては別に定められたる多角測量規程により基点の測量を為せり、右各点の成果を正確ならしむる為既存の陸地測量部設定の三角点を利用するを便なりとせるも、震災に因る異動の点検未済なりしを以て、止むを得ず左記六箇所にて北極星観測を為し方位角を決定し、全多角点の正確を期したり。
(一) 神田区和泉橋南側 方位角は北極星の最大離隔観測に依る
(二) 吾妻橋三角点(既設) 方位角決定右に同じ
(三) 麹町区大手町一丁目 方位角は北極星の子午線経過時観測に依る
(四) 芝区愛宕町 方位角は北極星の任意時角の観測に依る
(五) 本所区清澄町 方位角決定右に同じ
(六) 深川区西町 方位角は羅針に依る
以上の如く設定せられたる多角点を基礎とし、別に定められたる地区測量規程により測板を以て街路、河川、運河、橋梁、残存建物、工作物竝天然記念物、史蹟等の位置を実測し、且必要ある部分の高低を測量し、之れを各地区毎に六百分の一縮尺を以て輯成したり。
第2項 細部測量 (略)
第3項 水準測量
水準測量は本所、深川両区に於て土地価格評価及宅地造成の必要上、全区域に亘りて統一したる基準に依り施行したり、即ち其の基準点は本市設定の霊岸島水準基標に拠りたり(復興局に於ては参謀本部設定の水準標を採用せり、参謀本部基準標と本市霊岸島基準標との差三尺六寸七分あるを以て、実測に際し参謀本部水準標を使用したる場合は、其の成果に三尺六寸七分を加算す)
其の他の地域にして高低甚だしく水準測量を必要とせるもの例へば第一、第二、第二十八、第二十九地区の如きは、各地区毎に基準高を定め土地の高低を表示したり。
水準基標の標石寄附 大正13年
その1 2月20日付 可決
(東京都公文書館所蔵、大正13年『市参事会決議録』)
市参事会第29号
寄附受領ノ件
一、水準基標用 石材十種、百六十三本
此見積価格弐千八百弐拾五円
右石材ハ昨年震災後本市ニ於テ深川区内ニ設置セル水準基標改築用材料トシテ深川区新安宅町十二番地島田藤吉ヨリ寄附申出アリタルニ依リ之ヲ受領スルモノトス
その2 11月19日付 可決
(東京都公文書館所蔵、大正13年『市参事会決議録』)
市参事会第267号
寄附受領ノ件
一、水準石標(本市所定ノマーク及標字彫刻入) 二十四本
此見積価格金三百二十四円
右ハ深川区内ニ於ケル水準石標増設用トシテ深川区新安宅町十二番地島田藤吉ヨリ寄附申出アリタルニ依リ之ヲ受領スルモノトス
東京府隣接町下水道改良工事調査報告
(工学士 中桐春太郎、土木学会誌 15巻12号、昭和4年12月)
1.沿革及調査区域
東京市に隣接する東京府郡部町村即ち所謂大東京の凡そ近郊に相当する町の下水道改良工事の企画を東京府に於て助成せしは今を去ること12年前、故井上知事の時代即ち大正7年2月千住町に於ける荒木技手の関与せしものを始めとす。同年6月故工学博士中島鋭治氏を衛生工事の顧問に嘱託し、翌8年技師宮島三郎氏外山下、竹村の両技師等をして隣接5郡千住町外29箇町の下水改良工事費の概算を立てしめ、同年法律第36号都市計画法に基づき前記30箇町の外王子町、板橋町を加へ32箇町の下水調査をなす目的を以て、故阿部知事の時代大正9年の通常府会に大正10年度市郡聯帯支弁経常部予算として第27款都市計画費第4項下水調査費35,000円を提出し其の協賛議決を得たり。(後略)
2.調査の方法、功程及調査費
調査の目的は32箇町中29箇町の設計書を作り之れを当該町に下付し且つ已に一般設計成れるも未だ遮集渠の設計なき千住、大崎、尾久3箇町に其の設計をなし遂に32箇町の汚水処理の設計をなすにあり。其の手段は測量製図及設計の3作業より成り先づ測量規定を設け、陸地測量部牟礼二等三角点を原点とし初めは転鏡儀を以て折測法を行ひ陸地測量部の他の所在三角点と結合して誤差を更正し後復興局1/3000図を利用して折測法を行はず直ちに平板測量により地形を取り次で水準儀を用ひ高低測量をなし之れによりて測量の結果を縮尺1/2400切図に現はし陸地測量部1/10000地形図に基づきA.P.を基準面として切図に同高線を記入し平坦地は別に高低測量の結果により同高線を記入し、排水区の分割に便し斯くて長1,400間、幅900間に相当する切図62枚を調製せり、而して極めて科学的に作業の予定をなし大正13年以来亀戸町の測量の外未だ予定に違ひしことなし。(後略)
第4章 新市街測設
U 水準基面及拠標
東京府下水道測量調査規定
(木下武之助 編、土木仕様書と歩掛 上巻、シビル社、昭和6年発行)
東京府下水道測量調査規定 (抜粋)
第一章 総 則
一、東京府下水道測量調査ハ東京市ニ隣接スル左記三十二箇町村ノ下水道改良ノタメ之ヲ行フモノトス。
荏 原 郡 目黒町、大崎町、品川町、大井町、入新井町、大森町、羽田町
豊 多 摩 郡 代々幡町、千駄ヶ谷町、渋谷町、中野町、淀橋町、大久保町、戸塚町
北豊多摩郡 高田町、西巣鴨町、板橋町、巣鴨町、滝ノ川町、王子町、尾久町、三河島町、日暮里町、南千住町
南 足 立 郡 千住町
南 葛 飾 郡 隅田町、寺島町、吾嬬町、亀戸町、小松川町、大島町、砂町
第二章 平面測量
五、平面測量ハ三角測量、経緯測量及平板測量トヨリ成ル、但平面測量ノ座標原点ハ陸地測量部牟礼二等三角点トス。
第三章 高低測量
二〇、高低測量ハ縦断測量、横断測量及深浅測量ヨリ成ル。
二一、高低測量ノ基準面ハ霊岸島量水標零位(A.P)ヲ基準トスヘシ。
第五章 測 標
新たに水準基標を設置 昭和8年
(東京都公文書館所蔵、東京市公報、昭和8年6月17日号)
新市域六区五十七ヶ所に水準基標を新設
本市土木局で測量開始
構造物建設に際してその高さの基準ともなるべきものは、市内各所に設けられてゐる水準基標であるが、この水準基標と云ふのは高さを表はす根本的基準に対し、その土地の高低に従つて、あらかじめ測量によつて高さを出して置き、その附近に於て構造物の高さを出す場合は、これによつて間接的に根本的な基準から数字が表はれるやうにされてある。
この根本的基準として普通用ひられてゐるものは
一、高さの基準を東京湾の中等潮位に置く
二、霊岸島の水準基標零点に置く
以上の二通りがある、本市土木局では港湾関係の工事に際しては、霊岸島の零点を用ひてゐるが、その他の工事には東京湾の中等潮位を用ひてゐる、即ち東京湾の中等潮位を基準として、あらかじめ市内各地に水準基標が設けられ、これを更に基準として建物等の高さが解るわけで、従つて間接的には中等潮位から高さが出てゐる。
水準基標は旧市域には全部で二百五ヶ所あるが、その内訳は
陸地測量部のもの 十九
旧復興局のもの 十六
本市土木局のもの 百七十
となつてゐる、旧市域の水準基標は大体に於て以上の二百五ヶ所で事足りてゐる模様である、しかるに新市域の方は、水準基標と云ふものは殆んどなく、僅かに陸地測量部のものが数ヶ所あるに過ぎず、その他のところでは下水工事を行つてゐた旧町村地域内に二三あるのみである、現在では新市域方面には急激に大規模な工事は行はれないから、水準基標の設置もそれ程必要とはされてゐないが、将来は水準基標の設置は急務の問題とされるに至る。
そこで本市土木局では今から水準基標を新市域方面に新設すべく意気込んでゐるが、予算の関係もあるので今年度は一千八百二十七円を支出して新市域方面でも比較的必要と見られる荒川、足立、葛飾、江戸川、城東、向島の六区に亘り全部で五十七ヶ所に水準基標を新設する測量を行ふことになつた。
水準基標設置場所の条件としては
一、個人の宅地でなく公用地たること
二、永久的に変化しない場所たること
三、見通しのつく場所たること
等があげられてゐる、本市土木局では遅くとも明春三月までには前記六区五十七ヶ所の水準基標測量を終了したい意向で、その頃になれば東部新市域の高低も判明するわけである、尚、行く行くは新市域の残部にも水準基標を設置する筈である。
藤井鹿三郎 著 最新測量学
(藤井鹿三郎 著、最新測量学、修教社書院、昭和9年発行)
148.水準基標、前視、後視及び換点
〔1〕諸点の高低を測るとき将来の参考に資する目的で、多少永久的の測標を設けて此の点の基準面上の高さを測定するのが通例である。此の測標を水準基標と称し、B.M.と略記する。水準基標としては特設の角柱石、建造物の一点、岩石又は大樹等の如き高さに変化なきものの一点を使用すべきである。而して水準基標は勿論測線より余り隔らぬ所に於て、而も工事の為に障害されない位置に選定せねばならぬ。茲に示す図は水準基標の数例である。此の内の第148a図及び第148b図は特設の石柱、第148c図は堅固な構造物に鋲を埋込んだもの、第148d図は地盤の良好な点を選んで杭を打ち、之に鋲を打込んだものである。 (前視・後視・換点の解説は略)
第148a図 第148b図 第148c図 第148d図
一次史料の確認や原本との校訂もコロナ禍ゆえままならない状態である。それでも東京における水準基標の設置経緯と使用例などを把握する必要はあると、地元図書館や自宅に居ながら入手可能な報告書・雑誌・測量書に目を通し関連情報を集めてみた。肝心の基標に関する規程や仕様書は確認できていないが、ここに収録した玉石混淆の各種情報から読者が何かしら得られるものがあれば幸いである。