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周知のように内務省地理局が東京に設置附刻した高低几号を調べる場合には、『地理局雑報』第10号(明治12年)の「高距第壱報・東京府下几号実測」が唯一の公式報告となっている。また、それを補うものとしては同じく地理局が実測した『東京実測全図』(明治21年)の確認も必要である。『全図』に記された几号の場所を確認することで『雑報』には載っていない几号も数多く発見されている。
このような現状において新たな史料として紹介するのが「東京府内十五区各所高低表」である。これは、明治21年(1888)に農商務省地質調査所が刊行した『東京地質図説明書』で地勢資料として掲載された標高の一覧表である。
「高低表」には計測地点の具体的な位置と標高数値(メートル・尺)が記載されおり、その数は154か所に及んでいる。このうち、実に130余か所が地理局の測量成果と断定または推定ができるのである。
この130余か所の多くが『雑報』と『全図』の几号情報に関連しており、『雑報』『全図』「高低表」の3点を互いに連携させることで、それぞれの不足している情報を補完することが可能になる。

 

そもそも、地質調査所(現在の国立研究開発法人産業技術総合研究所・地質調査総合センター)の源流をたどれば、明治11年、内務省地理局に設置された地質課へたどり着く。しかも、高低測量を担当した大川通久や関野修蔵などは、のちに地質調査所へ席を移していることからもわかるように、地理局量地課の人および情報は確実に地質調査所へ流れているのである。
私が以前より利用している『地質要報』収録の「各地高低表」も、地理局の測量成果を地質調査所が利用した例であるが、これは地名も高距(標高)も簡略に記されたものであった。しかし、「東京府内十五区各所高低表」は地理局が所有していた測量成果を極めて正確に転載していると推定され、その内包する史料的価値は極めて高いと言える。
東京の几号調査研究は文献面でいささか閉塞感があったが、本史料が加わることで新たな進展が生まれるものと期待している。

 

(註)本史料は原本に《今左ニ東京府内十五区各所ノ高低表ヲ掲ケ》とあることから「東京府内十五区各所高低表」と表現したが、これはあくまでも仮称であることをお断りする。

 

  

 

 
 ※ 画像は上段右が緒言。高低表は次の3ページ目から始まり下段左の9ページ目に至る。

 

地質調査総合センターの「地質調査所 初期出版資料デジタルアーカイブ」から原本の内容を確かめることができる。
 ●東京地質図 → 原図
 ●東京地質図説明書 → 原本

 

 

【史料翻刻】

 

(表紙) 東京地質図説明書

 

(緒言)   緒言

余客歳七月上旬東京府及神奈川、埼玉、千葉、山梨、長野、五県下出張ノ命ヲ奉シテ東京甲府両図幅地ノ地質ヲ調査スルニ方リ偶々東京ノ地質ヲ特別ニ験察セリ盖シ此事業タルヤ都下ノ地質ヲ査定シ以テ地下ニ包蔵セラルヽ応用物料ノ適否ヲ弁ジ其地質ト水脉、衛生、地震等トノ関係ヲ説クニアリ今ヤ東京地質図成リ之ニ説明書ヲ附シ以テ其調査結果ノ綱領ヲ世ニ報道スルノ運ニ至レリ読者若シ夫レ此図ト書トニ由リ前記ノ事項ヲ知ルノ一助トナサバ幸甚

  明治二十一年八月

 

(本文)   東京地質図説明書              農商務技師試補  鈴木 敏 述

 〇第一章  疆域及地勢

   疆域

      (略)

   地勢

      (前略)

今左ニ東京府内十五区各所ノ高低表ヲ掲ケ以テ前述セシ地盤昂低ノ細目ヲ示サントス

海面上ノ高サハ東京湾中等潮位ヨリ起算シ内務省地理局旧測量課及陸軍参謀本部測量局ノ実測ニ拠レリ且ツ域内ノ高低ハ五米突即チ十六尺五寸毎ニ蜿曲線一囲ヲ画シ地質図ニ示セリ特ニ十五区外ノ地数ケ所ニ米突位ヲ以テ高距ヲ明記シアレバ彼此参照セハ域内地盤ノ高低一目瞭然タルベシ

位     置

海面上高 米突位

 尺 位 曲尺

洲崎弁天門前碑

1.18

3.89

本所法恩寺々銘ノ碑

1.37

4.52

深川越中島西海岸

従1.40至1.70

従4.62至5.61

下谷三味線堀際

1.60

5.28

本所北辻橋際 東詰南ノ方

1.64

5.41

深川大栄橋々台石垣

1.75

5.77

仝 富岡橋々台石垣

1.88

6.20

仝 上ノ橋々台石垣

1.88

6.20

新大橋東際

1.94

6.40

久松町警察署外構石垣

2.12

7.00

深川本誓寺本堂際碑

2.13

7.03

数寄屋橋枡形石垣

2.22

7.33

延遼館表門前道路傍石垣

2.24

7.39

木挽町海軍操練所三角測点

2.27

7.49

新大橋西際

2.28

7.52

佃島住吉神社前石垣

2.42

7.99

築地北門橋南際

2.50

8.25

深川高橋々台

2.53

8.35

本所外手町二番地土蔵土台石

2.56

8.45

深川八幡宮石華表

2.57

8.48

霊厳島新船松町船改所圍外

2.57

8.48

本所業平橋々台石垣

2.61

8.61

下谷御徒町一丁目六番地

2.65

8.74

本所弥勒寺橋北西欄干土台

2.68

8.84

日比谷門枡形石垣

2.76

9.11

山下門枡形石垣

2.80

9.24

京橋区亀島橋橋台石垣

2.86

9.44

仝 区小田原橋橋台石垣

2.90

9.57

浅草東本願寺本堂前石井枠

2.91

9.60

一石橋際迷子知ルベ石

2.92

9.64

京橋区久安橋土台石垣

2.93

9.67

神田区美倉橋南際往来

3.13

10.33

芝区宇田川橋石垣

3.17

10.46

日本橋区横山町三丁目九番地角

3.20

10.56

深川下ノ橋欄干土台

3.36

11.09

内務省表門柱石

3.39

11.19

和田倉門枡形石垣

3.45

11.38

鍛冶橋仝上

3.45

11.38

日本橋区箱崎橋橋台石垣

3.47

11.45

九段坂下俎板橋橋台石垣

3.50

11.55

雉子橋門枡形石垣

3.51

11.58

浅草吉野町熱田神社狗石

3.52

11.56

本所二ノ橋橋台石垣 南西ノ方

3.57

11.78

旧本丸大手門石垣右側

3.59

11.85

永代橋西詰欄干石柱

3.73

12.31

馬場先門石垣

3.76

12.41

浅草元鳥越町鳥越神社石華表

3.78

12.36

新橋鉄道前蓬莱橋石欄干石柱

3.83

12.64

平川門外橋際駒止石

3.90

12.87

幸橋枡形石垣

3.90

12.87

下谷金杉三島神社玉垣石柱

3.92

12.94

本芝四丁目鹿島社狗石

3.92

12.94

小石川橋橋台石垣

3.93

12.97

吾妻橋南西欄干土台

3.97

13.10

芝公園東照宮前石華表

4.04

13.33

日本橋区本町四丁目廿三番地瓦斯灯台

4.07

13.43

高輪元大木戸石垣

4.19

13.83

蔵前八幡社華表台石

4.20

13.86

深川緑橋南西ノ方橋杭

4.21

13.89

神田区一ツ橋門枡形石垣

4.30

14.19

神田橋門枡形石垣

4.39

14.49

芝金杉橋欄干石柱

4.48

14.78

両国橋西詰欄干石柱

4.59

15.15

江戸橋南東ノ方橋杭

4.61

15.21

神田千代田町一番地土蔵土台石

4.80

15.84

京橋石欄干石柱 北ノ方

4.82

15.91

万世橋石欄干 南ノ方

4.87

16.07

日本橋南詰橋名ノ石

4.90

16.17

日本橋区南乗物町一番地

4.92

16.24

赤羽橋際迷子知ルベ石

4.96

16.26

上野信濃坂下供養塔台石

5.29

17.46

小石川橋内練兵場北隅

5.30

17.49

平川門内石垣南側

5.43

17.92

表神保町二番地

5.47

18.05

不忍弁天社前敷石

5.52

18.22

上野広小路常楽院地蔵台石

5.80

19.14

小川町警察署外構石垣

5.83

19.24

神田小川町二番地

6.04

19.93

芝愛宕社石華表

6.14

20.26

初音町十二番地前石橋

6.22

20.53

虎ノ門枡形石垣

6.82

22.50

桜田門石垣

7.26

23.96

下谷池ノ端七軒町十二番地

7.29

24.06

神田上水関入口木戸

7.38

24.35

水道橋内土手石垣

7.48

24.684

麻布四ノ橋近傍西福寺石手水鉢

8.08

26.67

竹橋門石垣 南ノ方

8.08

26.67

小石川牛天神社華表

8.36

29.59

麻布宮下末広神社石華表

8.98

29.63

小日向水道端本法寺鉄水鉢台石

9.56

31.55

広尾町広尾橋石垣

10.79

34.62

牛込弁天町一番地

10.88

35.90

小石川久堅町極楽水碑

11.78

38.87

赤坂一ツ木三十一番地寺門前碑

11.86

39.14

牛込門枡形石垣

12.20

40.26

麻布広尾町祥雲寺柱根石

12.83

42.34

白金三幸坂下西光寺陸尺塔

14.20

46.87

麹町永田町日枝神社石華表

14.24

46.99

溜池葵町二番地北角石垣

14.70

49.17

東京女子師範学校表門石垣

15.22

50.23

四ツ谷鮫ケ橋

15.65

51.64

麹町区紀尾井坂下石橋

16.04

52.93

牛込市ヶ谷士官学校石垣

17.39

57.39

神田神社華表台石

17.77

58.64

麹町隼町陸軍本病院角石垣

17.79

58.71

湯島天神社華表石礎

17.83

58.84

牛込神楽坂善国寺

18.76

61.91

市ヶ谷門枡形石垣

18.98

62.08

市ヶ谷柳町五番地傍石橋

19.67

64.91

炮兵工廠火薬庫入口

19.80

65.34

駿河台東紅梅町祭司ニコライ氏邸礎

19.85

65.50

旧本丸天守台石垣裾東隅

20.38

67.14

白山前町四十八番地妙清寺門前碑

20.52

67.78

麹町下二番町四番地傍石橋

21.09

69.60

本郷元富士町電信分局前

21.20

69.96

西久保八幡社前石華表

22.28

73.52

旧本丸富士見櫓礎東北隅

22.34

73.72

赤坂門石垣側

22.42

74.00

駒込追分町八番地際石柱

22.50

74.25

忍岡弥生町元脚気病院床上

22.50

74.25

本郷真砂町桜木神社

22.53

74.35

麹町区三年町三番地石垣

23.54

77.68

上野公園内擂盆山頂

24.00

79.20

牛込喜久井町本松寺願満祖師堂前碑

24.98

82.43

芝愛宕山三角点石上面

25.02

82.57

市ヶ谷薬王寺門前碑

25.47

84.05

田安門際

25.57

84.38

牛込赤城神社石華表

25.99

85.77

麹町区上二番町二十四番地角

26.04

85.93

麻布飯倉六丁目徳川邸門石垣

26.38

87.05

牛込細工町十五番地

26.82

88.51

靖国神社金灯籠石礎

26.94

88.90

市ヶ谷谷町七十四番地 安養寺本堂石礎

26.94

88.90

半蔵門外玉川上水井戸石枠

27.09

89.40

白金台町二丁目妙円寺二王塔

27.82

91.81

渋谷宮益町御嶽社石華表台

27.87

91.97

麻布壱本松氷川社石華表

28.33

93.50

赤坂氷川神社石華表台石

28.58

94.31

市ヶ谷八幡宮唐銅手水鉢台石

28.72

94.78

永田町日枝神社前石段上

29.14

96.16

麻生六本木町四十三番地

30.66

101.18

青山御所御門際溝石垣

30.82

101.71

四ツ谷須賀町須賀社前

30.82

101.71

麻布桜田社石華表台

30.85

101.80

内閣東南ノ角石礎

30.93

102.07

麻布笄町長谷寺観音碑

31.06

102.50

喰違土手下丸石上面

31.92

105.33

青山南町四丁目梅窓院水鉢台

32.73

108.01

青山六道辻甲賀町一番地

33.27

109.80

四ツ谷大木戸玉川水堰際

33.39

110.19

青山善光寺石手水鉢

34.39

113.49

従青山北町一丁目至仝三丁目往来

35.00

115.50

四ツ谷塩町二丁目東角往来

35.00

115.50

陸軍戸山学校構内三角点標

37.43

123.52

 

【翻刻にあたって補正した部分】

・原本には印刷時における組み版の大きな誤りがある。これを修正。(詳しくは → 検証PDF

・「海面上高」と「尺位」の数値は漢数字から算用数字に変更。

・2.13m「深川本誓寺本堂際碑」の「願」を削除。

・2.50m「築地北間橋南際」を「北門橋」に修正。

・3.13m「神田区美倉橋南際往来」の尺位「1.33」を「10.33」に修正。

・3.92m「下谷金杉三島神社玉垣石柱」の尺位「21.94」を「12.94」に修正。

・「日本橋南詰橋台ノ石」を「橋名ノ石」に、「3.90m」を「4.90m」に修正。

・12.83m「麻布広尾町洋雲寺柱根石」を「祥雲寺」に修正。

これ以外にも誤字や脱字などがあると思われるが、各自の検証に任せる。

 

(註)一覧表の前に記された但し書きに《海面上ノ高サハ東京湾中等潮位ヨリ起算シ内務省地理局旧測量課及陸軍参謀本部測量局ノ実測ニ拠レリ》とあることから、この「高低表」は内務省地理局と陸軍参謀本部の測量成果が基礎になっていると判断される。
私なりの認識で地理局の測量成果であるか否かを区別した結果は「東京府内十五区各所高低表と既存資料との比較検証」としてまとめたが、正確な判定は今後皆さんが検証を行ったうえで明らかにされるものである。

 

本史料が掲載された『東京地質図説明書』は今から130年以上も前の明治21年に刊行されたものである。以前より地質調査総合センターのデジタルアーカイブとして広く閲覧が可能な文献でもあった。そのような事情から文献の存在を把握され、既に高低几号の調査に利用された方もあったと思われる。しかし、私の調査不足もあって今日までそのような情報に出会えなかったのは残念である。