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【画像をクリックすると各ページへ移動します】東京府内十五区各所高低表(明治21年)東京府下の『B.M.』(明治30年)新設水準基標高低一覧表(明治44年)水準基標一覧表(大正8年)文献の落ち穂拾い(随時更新)情 報 欄(随時更新)

周知のように内務省地理局が東京に設置附刻した高低几号を調べる場合には、『地理局雑報』第10号(明治12年)の「高距第壱報・東京府下几号実測」が唯一の公式報告となっている。また、それを補うものとしては同じく地理局が実測した『東京実測全図』(明治21年)の確認も必要である。『全図』に記された几号の場所を確認することで『雑報』には載っていない几号も数多く発見されている。このような現状において新たな史料と...

東京の標高に関する一覧は明治の近代測量開始とともに数々あるのは皆さんご承知のとおりである。本稿の「東京府下の『B.M.』」もその中のひとつである。ただし、情報の転載という性格を有し、誤字・誤植なども散見されることから史料的な性質は劣ると言わざるを得ない。さりながら、几号探索の面においてはいくつかの新情報・新事実を含んでいることも事実であり、几号調査の参考史料としてここに掲載し皆さんの検証を乞うもの...

2022年に入り、東京在住の角田澄彦様より「都公文書館での閲覧調査を引き受けます」というご提案があり、私はそのお言葉に甘えて10数点の閲覧希望リストを作成し角田様にお願いした。2月下旬、角田様から公文書館訪問のメールが届いた。メールに添付された とある一覧表 の画像は私を大いに驚かせるものであった。それは『大正元年・第1種・第5類議事・第1節市会・事務報告書、財産表・全8冊の7』という簿冊に収めら...

現在までに東京の街角で確認された水平型の几号標石は、亡失も含めると18地点になる(浅野が把握している分)。その所在地を東京市の『水準基標一覧表(大正8年)』と照合したところ、ものの見事に一致した。これまで「内務省地理局による東京三角測量の附属予備点」説など、さまざまな見方が示されてきたが、『一覧表』の確認により、東京の水平型几号標石は東京市が設置した水準基標と判断する。規定や仕様書などはまだ見つか...

攻玉社土木科 同窓会誌  第16号  明治25年1月〇東京市区改正測量                       正員  堀内米雄東京市街は曾て内務省地理局に於て之を実測し五百分一及ひ五千分一の図を調製せり共五千分一のものは印行して現存すれども五百分一のものは先年火災の為め悉皆焼失し野帳も亦本所浅草及下谷の或部分を存するのみ。其後明治二十一年八月閣令を以て市区改正条例を発布せられ仝事業を実施する...

あわや亡失!? 谷中浄名院の几号標石〔22.01.29 掲載〕台東区上野桜木二丁目6-4  浄名院→『水準基標一覧表』 下谷区上野桜木町四十一番地先(浄名院正門右側) 58尺685谷中の浄名院に水平型の几号標石が現存していることは、故 角田篤彦氏の発見以来、広く知られているところである。(参考・角田篤彦:「不」の石の謎、『谷根千』54号、1998年)角田篤彦氏のご令弟 澄彦氏が2022年1月27日...